棚に地震対策

2020.5/9(土)、小雨のち晴れ 車庫に作った棚に地震対策を作ることにしました。
コンクリートに電動ドリルで穴を開けようとしたのですが、固いしコンクリートの細かな粉が飛び散るし、1cmも掘らずに諦めました。
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天井の支柱に板を張り付けてつっかい棒にすることにしました。最初は前後の支柱に補強板を取り付けようと考えていました。ところが倒れるときは前にしか倒れませんので、前の支柱には天井に届く補強板を付けても無意味と気付きました。後ろの支柱だけが転倒防止に役立ちます。
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さっそく、コロナウイルス除けのマスクをしてホームセンターに行って買ってきました。電動ドリルを電動ねじ回しにして木ネジをねじ込みます。手でやってたら1本でも大変な時間がかかったでしょうが、4本×4支柱=16本のネジを楽しんでやることができました。工具は貴重とつくづく分かりました。
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これで、地震が来ても車がつぶされることはありません。
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もっとも、棚に入っているものは軽いものばかりで倒れて車が傷みそうなのは棚自体くらいのものです。
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もう何もすることがありません。コロナ自粛の毎日が退屈です。

車庫に棚を作る

2020.5/4(月)、雨のち晴れ 裏の畑の下にある車庫に棚を作ろうと数年前から考えていたのですが、暇のある今作ることにようやく腰を上げました。

車庫の広さから希望する大きさと、実際の材木を最も効率よく利用できるものには少し違いがありました。そこで何度か寸法を変更することになりました。
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設計の特徴・・・コンクリートの壁が床に付く部分が半径10cm(100mm)程度に丸くなっているので、奥の支柱を壁にピッタリくっつけることができず、10cmほど壁から離し手前に設ける必要があります。しかし奥に10cm遊ばせるのはもったいないので、上に取り付ける天板は後ろに伸ばして壁にくっ付けることにしました。このため、奥の底板は14cmの切れ込みを入れました。また、前側の天板は4cmの切れ込みです。幅は支柱の横幅3cmです。
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支柱をつなぐ奥方向の横木は35cm、これだけは材木を買ってもらったホームセンターで切ってもらいました。200cmの10数本の支柱と182cmの底板はそのまま使うことで、こぎり作業をほとんどなくせました。
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全部の材料木材です。
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天板の14cmの切れ込みはこれくらいになります。これを10個余り切らないといけません。
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のこぎりで切ってみましたが、肩が痛くなりそうで中止。以前から欲しかった電動のこぎりを買うことにしました。アマゾンに発注。届くまで作業中止です。
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それまで横木を打ち付けました。材木を直角に組み合わせる作業でちょっと戸惑い(失敗し)ましたがやり直して無事終わり。ハンマーは1.5Kgの重たいのを昨年買っていたので、これで打つというより押し付ける感じで釘はスイスイ打てました。
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支柱の横幅3cmはいかにも弱そうなので、同じのが4本余っていたので外側の支柱だけに打ち付け、幅を6cmにしました。同じ大きさの杉の角材を打ち付けるだけでしたので、釘打ちがじつに快適でした。

アマゾンは、連休のせいかコロナウイルスのためか少し遅れましたが、Made in Chinaの電動のこぎりが3、4日ばかりで到着。
厚さ1cmの天板の14cmの切れ込みは簡単に終了。工具があるとじつに簡単にやれるものだと実感しました。2020-05-03 14.51.44-2

組み立て開始です。組み立ての手順をいろいろと考えておきました。
まず支柱の組み立て体4つを床に倒し、天板の切込みに支柱を入れて支柱の間隔を確定させます。天板はまだ釘で固定はしません。この状態で支柱を横につなぐ背板を打ち付けました。こうしないと、あとで天板の切れ込みに支柱がうまく入らなくなる恐れがあります。
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次に支柱に斜めの梁(はり)を入れます。このため、3cmの厚さの角材を1.5cmほど薄くすることにしました。長さは10cmくらいずつ。それが4か所あります。電動のこぎりの出番です。
これは木目に沿って切るので難しいことは分かっていました。(普通に材木を切るのは木目と直角が圧倒的に多い)
のこぎりの歯が、年輪の固い部分を避けて柔らかい部分に沿って移動したがるので大変なのです。何とか切り出し終了。
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梁をセットします。これで棚が横に潰れるようなことがなくなります。大事なものです。5000年くらい前に誰かが思いついたのでしょうが、当時は大発明だったと思います。
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梁をねじ止めします。真下に支えがないので釘は打てませんから、ねじ止めです。数年前に買っていた電動ねじ回しで面白いようにスイスイと作業がすすみます。工具さまさまです。
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枠の固定が終わったところで、はめ込んでいた天板を取り外し、立てます。天板を外さないと重くて持ち上がりません。
よくできたと1回目の感激。
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いよいよ天板(底板)をはめ込みます。
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後ろをはめ込んだところです。支柱から後ろに100mmほど出ています。きれいにはめ込めました。ほとんどガタつきがありません。
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天板を横木に固定しました。(上から撮った写真)
天板は奥と手前の2枚です。
物を置くためだけなら簡単な固定で良いのですが、構造的な強さを持たせるために沢山のねじでがっちり固定しました。電動ねじ回しでスイスイの作業です。
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天板のネジ固定ををすべて完了。2度目の感激!
天井に近い部分の背面の横木はありません。あると大きな物を置きにくくなるので付けないことにしました。
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後ろの支柱と壁の間の10cmには天板(底板)だけが突き出しています。奥だからそんなに重いものはこの部分には置かないだろうから大丈夫でしょう。
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いろんな資材をきれいに片付けられました。3度目の感激!
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すっきりです。
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スマホのパノラマ写真で撮るとこんなふうに、目で見た感じに撮れます。広角レンズだと縦も小さくなって奥が遠方になりき過ぎて不都合ですが、パノラマだと横だけを広く見渡せるので見た感じに撮れます。4度目の感激!
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朝食の準備

2020.4/30(木) コロナウイルスとは関係ありませんが、最近ずっと朝食を作っています。うちの食品製造部長はラジオ体操の後で女性仲間で散歩に行ってしまいます。
写真の残っているものだけ紹介します。
4/25(土)  ニンジンと玉ねぎがありました。塩コショウで炒めます。
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細長く切って、
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ニンジンが固いので先に1分余り炒め、その後玉ねぎも加えてさらに炒めます。強火です。
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その後で、得意の卵焼きふうエッグスクランブルを作って完成。
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4/19(日) 玉ねぎが中心で、ちょっと取れたスナップエンドウを一緒に炒めます。塩コショウに味の素少し。油はゴマ油とサラダオイルのミックス。強火です。
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炒め終わったら、卵2個をその上に。エッグスクランブル風にかき混ぜ。究極の手抜き技。
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2皿出来上がり。
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4/8(水)、これは夕食。
キャベツと豚肉があったので豚キャベ(回鍋肉、ホイコーロー)に挑戦。朝鮮と言うほどの事もなし、ただ炒めるだけ。
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キャベツを炒めすぎた。キャベツのパリパリ感が全くなくなり失敗。もちろん食べられますが。
豆腐とわかめの煮付けのような味噌汁を作ることに。ダシはインスタントで顆粒の和風ダシ。
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味噌を入れて出来上がり。
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まあ、味も悪くなく、十分食べられます。
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4/7(火)、菜花を少し炒めてその後で、スクランプルふう卵焼きを作りました。これは私の最も得意な超簡単料理。
菜花を炒めた余熱が冷めぬフライパンが熱いうちに、再度火をつけ強火よりやや弱い程度。卵2個を割って入れます。手早く塩とコショウを適宜。このときは菜花炒めの油が残っていることを期待して新たには引かず。
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箸でかき混ぜスクランブルエッグになる直前で火を止める。
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少しとろみが残っている程度で火を止め、素早く底をめくって丸めます。テフロン加工のフライパンだから全くこびりつかず簡単にできます。
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完成。
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今日は、ちくわ1本を追加。ちくわはバカにできません。白身さかなで健康によろしいです。
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鏡の時計はなぜ逆に見えるか

2020.2/26(水)、曇り時々小雨 新型肺炎のコロナウイルスが流行しつつあり、不要不急の外出や会合は控えるのが良さそうな世の動きです。

暇をもてあまし、鏡に映る時計の文字盤がなぜ逆に見えるのか、実験しながら考えてみました。
下の写真は普通に壁にかかった時計です。
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下の写真は、これを鏡に映したものですが左右逆に見えます。上下はそのままで、左右だけ逆に見えます。
これと似ているものとしては、紙の(左右回転によりその)文字が左右逆転して見えることを先に説明しました。
ところがこの時計では、時計を左右に回転していないのになぜか左右逆に見えます。不思議です。
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なぜ時計を鏡に映すと左右が逆に見えるのか?

その説明として、鏡には正しい時計のまま映っているが、自分(見る人)が左右に反転しているから左右逆向きに見える、ではどうでしょうか。

もう少し詳しく説明します。

下の写真は壁の時計と、その上に手鏡に映った時計を撮影したものです。これを見ると鏡に映った時計は左右はそのままですが、上下が逆に見えませんか?
これは鏡を上下に(150度くらい)回転させているので上下が逆に見えるわけです。
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だから下の写真のように、鏡を離すことで上下の回転が少なくなり左右の回転が加わると、上下逆に見える印象が薄れ、左右逆に見えるように変わっていきます。
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鏡が水平になって、壁の時計と反対の位置にくると、自分が逆向き(つまり水平に反転している)ので時計は左右が逆に見えるわけです。
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ところで、もう一つ面白いことがあります。

それは、画面の方に付いているレンズ(インカメラ)で撮影するときのことです。インカメラによる撮影は自撮りでよく使われます。
(ただし自撮りは画面と反対に付いている主カメラ(アウトカメラ)でも行えます。)

下の写真はスマホのインカメラにより、壁の時計と自分の頭が少し映っているところです。
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時計をよく見ると左右が逆になっています。鏡と同じようです。
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ところが、この状態でシャッターを押して撮影したのが下の写真です。不思議なことに時計は正常な向きに写っています。つまり撮影画面で見ているものと逆向きに撮影されるのです。不思議ですね。
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その答えは、これはスマホの設定によるものです。スマホの自撮りでよく使うインカメラ(表示画面側のレンズ)を有効にすると「反転画像として保存」などの設定になり、このように撮影されるのです。この設定を外せば時計は左右逆向きに撮影されます。

ただし、自撮りにおいても、背面のカメラ(アウトカメラ)を使って撮影すると常に正しい向きの時計が表示されます。
また、(普通の)デジカメでレンズを自分の方に向けて撮影しても常に正しい向きの時計が撮影されます。

つまりインカメラ(画面側のレンズ)では、画面を見るときは鏡のように左右が逆のように見え、撮影すると普通のデジカメ(やアウトカメラ)のように写るわけです。

簡単な日本語を使おう

2020.2/17(月)、小雨 最近の日本語は不必要な長ったらしい言い回しが多すぎると思いませんか?

72歳を過ぎた自分が古いのか、平和ボケした日本人が言葉の本質を忘れて敵を作らないための意味不明のゴテゴテとした文を付けてボカしているだけの事か。
例を挙げる。

●「・・・させていただきました」と言う表現。「・・・しました」と言えば済むものが大半である。
「・・・させていただきました」という言い方は、昔からの使い方としては、相手に許しを請う表現であろう。「本来は○○にすべきだが、それが準備できないので申し訳ありませんが今回は、・・・にさせていただきました」などである。
それと似ているものとして、「(その料金では貧弱な○○しか準備できないが、長いお付き合いでもあるので今回は一段上の)・・・にさせていただきました」などがある。これは許しを請うのではなく、自分の好意をへりくだった表現にしているものだ。しかし本当は「・・・してやったんだぜ、忘れるなよ」という裏の意味を含んでいるように思う。
「・・・させていただきました」は、最近は丁寧な表現としてあちこちで使われているようである。そのような丁寧表現が必要な場合もある。しかし政治家や役人などが頻繁に使っているのを聞くとおかしくて仕方がない。「本年の予算は5兆円にさせていただきました」などと言う人が多い。これなどは「本年の予算は5兆円にしました」と言えば十分であるが、そう言うと反論されそうなので柔らかくするために「させていただきました」と言ってるようだ。反論しないでくれ、と言いたいようだ。裁判官の判決言い渡しの席で「禁固5年、執行猶予2年に処する」などと言う一方で、法務第大臣などが説明するような機会に「禁固5年、執行猶予2年にさせていただきました」などと言うことを聞く。そのうちに「死刑にさせていただいた次第です」などの発言を聞くことになるのだろうか。

「・・・させていただきました」と言う言い方は口癖みたいに言うのは止めよう。必要な時だけにしよう。

●もう一つ。「・・・とかあるじゃないですか」もおかしい。「・・・があります」と言えば良いのに、なぜか「とか」と言い「・・・じゃないですか」と言う。
たぶん、「Aがあります」と言うと、「そうじゃないだろう」などと反論を誘発する恐れがあるのでぼかしているのだろう。反論を封じて身を守っているのだろう。「AとかBがある」と言いたいのだがBを省略していると思わせたいのだろう。(しかし本当はBを認識していないにもかかわらず。)
「・・・あるじゃないですか」は相手に同意を求める表現と、昔聞いたことがあるが、さらに、相手が考え付いたように思わせる表現と言えないだろうか。「Aです」と言うと自分が知っていることを自慢しているように思われ嫌われる恐れがある。それは嫌だから、「Aがあるじゃないですか」と言って相手が自分で「Aがあるな」と考え付いたような気分にさせる、と言えないだろうか。
高級な話術ともいえるが、そのような気遣いばかりやっていて、最近多くなっていると思える傍若無人な外国人と渡り合っていけるのだろうか?

●「・・・なのかな~と思います」と言う言い方の多様も2点おかしい。「なのかな」とその後を伸ばす言い方である。「なのかな」は自信を持てないが多分そうだろうと考える推量を示す場合に使うべきものであり、そういう場合に使うのは妥当である。ところが最近は、自分の言いたいことは明確なのだがそう言うと反論される恐れがあるのでそれを封じ込めるため自分の意見をぼかす手段として使われている。そんな使い方をしていては日本語が壊れてしまう。
例えば、友人が集会に来なかった場合に「何か急な事態が起きて来れなかったのかな」と言うのは良い。しかし、急に学校が休みになった場合に「もっと早く連絡もらえば良かったかなと思います」等の使い方はおかしい。この場合には「かな」は不要である。「もっと早く連絡もらえば良かったと思います」と言えば良いのだ。自信をもって自分の意見を発言しよう。
もう一つの文節の最後を伸ばす言い方はノンビリしている気分を表すものとして使って良い場面もあるが、不適切なケースを聞くことが多い。JR列車遅延の放送で駅員が「列車は先ほどの地震のための安全確認のため遅れていま~す」などと聞くと、大丈夫かなと心配になる。まさか「放射能が漏れていま~す」などとは言わないだろう。
「御社に就職しても良いかな~って思っています」などと言われたら面接担当者は困るだろうな。

●「・・・になります」と言う言い方。これは「・・・です」で十分であるのに、親切のつもりで使うのだろうか。
「こちらがご注文のものになります」と言われると、「今から変わるのかな~」などと思いかねない。「こちらがご注文のものです」で十分である。
以前あるとき医者に行って料金払った後、受付の女性が「次の予約になりますね~」とだんだん上げながら言った。上げながら言ったことが原因の1つだろうがまず何を言ってるのかさっぱり聞き取れず、聞き直したがそのたびに同じ言い方をするので2,3回も聞いてしまった。次に、言葉は分かったがその意味が分からなかった。本当のことだが「あ、そうなるんですか、で?」と聞いてしまった。そこで先方はまた同じことを繰り返した。そんなことを繰り返して、ようやく先方は次の予約の日時を決めたいと言ってることが分かった。
こっちの理解力が落ちているのかもしれないが、標準日本語で話してくれればわかるんだけどね。

●「ご案内の通り・・・」と言う言い方も気持ちが悪い。「ご存じの通り・・・」とか「分かってるだろうが・・・」と言うことのようである。10年くらい前のHという政治家が頻繁に利用していたが嫌になった。政治家が言うと「知ってるだろう、俺は説明をしないよ」とか「俺の理解と同じだろう」と言ってる訳であり、それでは政治家の場合は逃げである。政治家の役は果たせない。事態を知らない人や、一応知ってるが解釈できないでいる人に自分の意見を伝えて一つの方向にまとめていく、引っ張っていくのが政治家ではないか。民主主義では全員が一致する法案は存在しない。勝手なことを考えるから良いのだが、それでは政策はまとまらない。そこを全員一致ではないが次善の策として最大多数の方向にまとめていくのが政治家であろう。
「あんたは自分の意見を言ってないじゃないか、おれは新聞で読んだりテレビで見て知ってるけど、あんたの理解とはたぶん違うと思うよ」と言いたくなる。

●「・・・してございます」、原発事故の際に東電の人が頻繁にこの表現を使っていたのを記憶している。「防波堤の高さは10mにしてございます」などと慇懃(いんぎん)な言い方を聞くたびにバカにされているような、嫌な思いをした。「防波堤の高さは10mにしています」で十分である。
何が嫌な感じを引き起こすのか考えた。10mか15mかの技術的な数値の話をしているのに、営業的な丁寧語が入ることで焦点がぼかされてしまう、騙されてしまう印象をもったように思う。慇懃無礼というか、逆に真摯な態度が伝わらない気がした。

●逆に簡単にしすぎている例。「感激を与えたいと思います」などと選手が言うのを耳にすることがあるが、これは間違った表現だ。選手が心の中で「感激を与えたい」と思うのは勝手なことだ。しかしそんなことを考えてプレーするのだろうか?
良い試合をしたい、力いっぱい試合をしたい、と思っているのでないだろうか。だったらそう言えばいいのに。
選手が頑張ってプレーをしているのを観客が見て「感激を与えられた」というのは正しい。しかし、選手が言う場合には「喜んでもらえるようなプレーをしたい」と言うのが最適だと思う。
微妙であるが、「感激してもらえるようなプレーをしたい」も少し言い過ぎだと思う。「感激」と言う言葉自体、選手側から言い出す言葉ではないのではないだろうか。なぜならその意味は「強く心に感じて、気持ちがたかぶること」と言うような意味だからだ。選手が、観客に「強く心に感じさせ、気持ちがたかぶらせたいと思います」と言うとおかしいではないか。