サルスベリの芽が出た

2018.4/10(火)、晴  サルスベリの枝を切った後にビニールを巻いていたのでそれを撤去しました。3月末が良かったのですが、急に寒くなったりしたので遅れてしまいました。
2018-04-10 16.05.12

一部のものは既に新芽が出ている所もありました。今年は暖かいせいか、それともビニールで覆っていたせいか?
2018-04-10 16.07.16

桜、貿易戦争

2018.4/6(金)、曇  昨日はいい天気で桜も散っていました。家の前の公園にある6本の桜の中で最も小さい木は、樹勢が弱っていて花芽を準備できなかったようで花の数は少なかったのですが、葉がたくさん出ています。この調子で枝が伸びると来年は花も多くなることが期待できます。これはひょっとすると、昨年7月と今年2月の栄養が効いてきたのかもしれません。
2018-04-05 07.00.31

面白い画像をテレビでやっていた。丸い円は輸入している品目で、その大きさは金額を示しており、左は中国がアメリカから輸入しているもの、右はアメリカが中国から輸入しているもの。
左;中国がアメリカから輸入しているのは、大型航空機や自動車、大豆などの数少ないものに集中しているのが特徴。
右;アメリカが中国から輸入しているのは品目数が多いのが特徴。その中で金額が比較的多いのはテレビや鉄鋼、アルミだが、飛び抜けて多いわけではない。
2018-04-06 08.13.52

秋保の宿

2018.3/18(日)、晴 昨日は松島町から船に乗り、塩釜まで小一時間、松島の景色を楽しみました。
2018-03-17(23)

夕方には仙台の秋保(あきう)温泉に来て、「佐勘」に宿泊。豪華な旅館です。
最初はサスケと思っていたらよく見ると佐助ではなく佐勘でした。サカンと読みます。そう言えば、最初はアキホ温泉と思っていました。

佐勘は、名取川の秋保温泉の老舗で、江戸初期から営業していたようです。佐藤勘三郎と言う人が最初に湯守として頑張った人のようで、そこから佐勘という名が付いたようです。
下の写真は江戸初期の本に出ている絵です。名取川の峡谷にかかっている橋の上から下の河原の温泉を見下ろせたそうです。現在はこの橋は頑丈な鉄橋になっており、左下の河原から崖にそって「佐勘」が立っています。地下3階に降りると源泉に近い風呂がありました。普通に利用する大浴場は上にあります。
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大きな宿で土産物店も広く、風呂は広くて大きな大浴場で熱すぎずゆっくり入れました。24時間入れたそうです。

夕食のごちそうは次々と出てきて、下の写真の2、3倍くらいも出てきました。久しぶりに超満腹でした。
2018-03-17(37)

朝食のバイキングは人数が多くてびっくり。料理の品数にまたびっくり。客を案内したり介添えする女性の数が多く、しかもみなさん若い人ばかりで驚きました。

出掛ける前に記念写真。
2018-03-18(55)

バスで出発するとき、窓の外には見送りの横断幕の左右を従業員の男女2人が持って手を振ってくれました。
驚いたこと・・・バスが出発すると、横断幕をバスと並行に立っていた片方の人がさっと動いて直角に移動しました。去るバスから横断幕の文字が良く見える位置に移動したのです。さすが~、繁盛しているだけのことはある、と感心。サービス満点でした。

18日(日)は、立石寺(通称、山寺)に参拝し、米沢市で米沢牛のミディアムレアを食べました。肉は柔らかく、私にとっては久しぶりの超大物でしたが、何とか食べました。サッパリしたご飯も助けになりました。
2018-03-18 12.59.23

大げさな表現は止めてほしい

2018.1/24(水)、晴れ 一昨日夕方、東京は退勤時の列車が乱れて大変だったようです。

ところがそれを伝えるインターネットのニュースの見出しに「首都圏が阿鼻叫喚・・・」と書いてあるものがありました。若い人が書いているのだろうが、阿鼻叫喚という表現は適切ではないと思います。テレビで見ていた限りだが、阿鼻叫喚のようなものは1つもありませんでした。

記事を読んでもらうために過激な表現をしているのでしょうが、こんな姑息な手段で読者を引きつけようとするのは反則ワザです。

他にも、最近はいろいろ過激な表現が目立ちます。

号泣した・・・悲しかったのか逆に感激したかで涙ぐんだ程度のことを号泣したという言い方が流行っています。これは間違った使い方です。号泣とは、あたりをはばからず身をなげうって大きく泣くようなことを表すものです。本当に号泣する状態との区別ができなくなってしまいます。

激怒する・・・「私は怒った」程度のことを激怒すると言うのが流行っているようです。激怒するとは、身をよじらせて激しく怒るような場合に使うべきものです。安易に使うと、ホントに激怒するときに何といえば良いのか分からなくなります。

とはいううものの、昔から大げさな表現はありましたけどね。

必死でやる、必死の思いでやる、など・・・必ず死ぬような気持ちでやっていない場合でも気楽に「必死でがんばった」などと使っています。