興味ある本

2013.9/24(火)、  今面白い本を2つ並行して読んでいます。1つは黒田さんという産経新聞のソウル支局駐在であり論説委員でもある人の書いた「韓国 反日感情の正体」という本。反日感情の正体は簡単に言うと、韓国特有の考え方である恨(ハン)であるということである。それと関係するようであるが、私がそれ以上に興味をもったのは、韓国人の歴史認識のことであった。この本によると、韓国人は「あった歴史」より「あるべき歴史」を正しい歴史と考えるらしいのである。

 その本に書いてあるわけではないが、歴史とは事実のことではなく事実の解釈である、ということは私も理解できる。例えば、織田信長が大暴れしたことは事実だろうが、自分の仲間を増やし権力を握りたかったからというのでは歴史にならず、彼は中世の因習を打破し新しい世を作るために戦ったというと歴史になる、と言えるかもしれない。しかし彼が、自分に敵対した弟をだまし討ちし、部下であった家康の正室や長男を自害に追い込み、大勢の宗教者を殺傷したのは変えられない事実(のよう)である。

 しかしこの本によれば韓国では、「歴史の正しい立て直し」を政権運営のスローガンにした大統領がいたことに象徴されるように、歴史の事実を改変することに何の躊躇もないらしいのである。20世紀前半、日本でも韓国でも多くの人達が生きるのに必死であった時代、死ぬよりましとしていろんな職業に従事した人がたくさんいた。しかしそのような「あった歴史」は、韓国では「あってはならない歴史」らしく、「あるべき歴史」にすり変えようと大変な努力がなされているという。多くの事例が紹介されている。
 例えば、歴史上の大きな事実である1910年の日韓併合は、当時の世界の認識では合法であったのだが、現代の考え方の元に、不当であり不要であり無効であると主張されているそうだ。また、印刷技術はグーテンベルグの発明よりもはるかに早く韓国で発明され、日本の茶道、生け花、相撲、剣道、柔道、歌舞伎も韓国で生まれたと主張されているそうである。

 自分たちが希望する「あるべき歴史」しか歴史として認めないというのでは諸外国と摩擦が多いだろうし、正しい科学技術が育つものであろうか?、(この本はまだ半分しか読んでいない。)

 そんな気分でいたいときに、「宇宙はなぜこのような宇宙なのか、人間原理と宇宙論」という本のあることを知り、今読んでいる。このような本のあることはだいぶ前から知っていたのだが、分子生物学の福岡伸一博士の書評を見て読む気になった。

 一般には、光の速さ、原子の大きさ、重力定数などの基本的な数字は宇宙普遍のものと思われている。ところが、宇宙はいろいろあって、我々が住んでいるこの宇宙は人間が生まれるようにできている、つまりそのために妥当な宇宙の基本的な事項が定まっているという人間原理(人間中心主義?)の考えが、宗教ではなく科学として新しく出てきているというのである。(これもまだ1/3しか読んでいない。)

 この本の著者も最初は、おかしな考えだと思っていたらしいのですが、最近は何かあるようだ、という考えに変わってきているらしいです。ニュートンが万有引力を主張した時も、最初は、そのような遠隔において働く力があるはずがないとして、有名な数学者のライプニッツなどからオカルト的な扱いを受けたそうです。そのニュートンの考えた物理の世界も、アインシュタインあたりから以降の科学の進歩で、どんどん覆されてきました。

 ところで、もし宇宙がたくさんあるとなれば、人間原理を持ち出さなくても数ある宇宙のうち人間が存在できる宇宙にたまたま人間が発生したと考えられるということです。ただし、たくさんある宇宙とは絶対に交信できないものであるらしく、そのような宇宙が意味が有るのか、また今は交信は絶対無理と思っていても重力による影響などは可能性がる、とかなんとか、だんだん理解できなくなってきました・・・。

 アインシュタインは、彼が提唱したある数式に宇宙条項というものを加えたそうですが、あるときそれは不要と気が付いて削除したそうです。ところが後でいろんな研究が進んだことで、やはり必要と分かってまた加えることになったとか。またアインシュタインは、現在の世界の先端技術の基礎になっている量子力学を最後まで認めることができなかったそうです。

 いずれにしろ、過去の時点でどう考えていたかとか、どういう状態にあったかということは、何も恥ずかしいことではなくそれを覆い隠そうとする姿勢が恥ずかしいことであり、正常な発展に邪魔になる行為と思えます。歴史を自分たちに都合の良いように変える姿勢は慎むべきと思います。

尖閣列島の帰属について考えた

2012.9/20; 中国が魚釣島などの尖閣諸島を古来からの中国領土だとして、日本の実効支配を崩そうと様々な行動をしています。これに対して、日本人は自民党から共産党までほぼ完全に一致して、尖閣諸島は日本の領土だと主張しています。

 一方、中国政府は「右翼」とか「一部の者」が騒いでいるだけだと発言しています。(2012年9月20日 時点)

 また日本のあるビジネス雑誌では、記者の知人である中国人が「いまだに中国は建国からの歴史が浅く苦しみもがいていることを理解してほしい」という発言を載せています。しかし、そのような一方で中国は、手段を選ばず他国に棒をねじ込ませて既成事実を作って領土を広げようとしている、つまり「侵略」しているように見えます。チベット然り、フィリピンやベトナムの近海での行動然りです。「大変な状況」と同情を求めるような声も相手を油断させる外交戦争の手段ではないのでしょうか。

 本当に「大変な状況」ならば、協力してくれ、力を貸してくれと頼み込んでくるのが普通のやり方でしょう。周恩来や鄧小平の頃はそうであったからこそ、パナソニックは冒険ではあったが率先して中国に工場を作り、日本の産業界は大きな溶鉱炉や鉄工所の建設に協力してきたはずです。

 自分たちの意にそわない場合は、デモ隊による暴力を許し、経済発展に協力した企業にもう用は済んだから出ていけと言う姿勢であり、運んで行った輸出入品を港湾で禁止し、観光客を直前にキャンセルさせ、総力をあげて圧力をかけています。これが「仁(人間愛)と礼(規範)に基づく理想社会の実現」を説いて回った孔子の国のやることでしょうか?、違和感があります。

 個人的な感想ですが、中国でのデモ隊の映像や尖閣に押し寄せる1000隻とも言われる漁船など、数で押しまくるやり方に怖さを感じます。近隣諸国を威圧して従えるのが中国の国策なのでしょうか?

 実は私は、2012年3月、北京の中国知的産権訓練センターの招聘で講演をしました。私の研究していることを広めたい気があり、また将来のこともあると考え、謝礼なしで行いました。なんとか中国には世界と足並みをそろえて穏やかに発展していってほしいと願っています。

 ところで日本のマスコミでは、日本に留学している中国人女性が次のように主張していました。
「尖閣諸島は古来から中国領であったのに、清朝末期のごたごたに乗じて日本が占領した。」
 このような中国人の発言は何度も聞いた記憶があります。その主張の理由は何でしょうか?

 気になることがあります。ニューヨークである白人女性へのインタビューで「今はまだよく分らないのでこの問題に答えたくありません。昔は中国の領土だったのを日本が奪って実効支配しているのでしょうから。」という発言です。つまり、昔は中国領土だけど今は日本が実効支配している、というように考えている人が世界にはけっこう多くいるのかもしれない、ということです。もしそれが正しいのであれば、日本人が間違ったことをしていることになります。

 尖閣について冷静に、本当のところを知りたいと思います。もし、中国が古くからずっと自国領土として管理していたのならば、中国に返還すべきでしょう。
 しかし、誰も管理していなかったのであれば、最初に領有を主張した国の領土になるのは国際法による秩序のようです、詳しいわけではありませんが。
 このような約束は人類がたどりついた知恵です。つまり、以前は力任せに他国に侵入して切り取り勝手であった帝国主義時代がありました。その最後の戦いとして2度の世界大戦がありました。そしてとうとう米国、ロシアをはじめとして、人類を何百回も絶滅できるだけの核兵器を持つにいたりました。これらの結果、少なくとも世界をリードする国々では、どの国も領有権を主張していない場所を最初に自国と主張した国の領土は侵害しない、ということは常識化しているのではないでしょうか。

 もっとも中国は、チベットの例をみると人が住んでいても「一時期中国だった所は全部中国だ」と力が弱い国に対しては乗り込んできます。そういう意味では常識が通じない国です。しかしとりあえずそのことは置いておきます。

 尖閣諸島に限って調べてみました。日本政府の主張は外務省のホームページには次のように出ています。

>尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により
>再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、
>清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月
>14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国
>の領土に編入することとしたものです。
> 同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部
>を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が
>清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。

 日本の国会図書館から「尖閣諸島の領有をめぐる論点」というものが出ています。それによると次のようなことが書かれています。たくさん書いてありますので、一部のみ抜粋します。

(1)もっとも古いもの・1556年、明代
>尖閣諸島が台湾の付属島嶼であるとの説は、『日本一鑑』(1556年)の
>中の、魚釣島についての記述、「小東(台湾を指すとされる。)之
>小嶼也」が根拠の一つとなっている。
>しかし、当時の中国は、台湾を統治しておらず、統治の意思もなかっ
>た。例えば、明の正史である『明史』では、台湾は東蕃として「外国
>列伝」に入れられ、台湾北部の雞籠山も「外国列伝」に含められてい
>る。仮に、尖閣諸島が台湾の付属島嶼であったとしても、台湾が中国
>の領土でなければ、同諸島が中国に属することの証明にはならない。
>これに加えて、『日本一鑑』が著された時代、台湾に統一的な政府が
>存在していなかったことを鑑みれば、「小東之小嶼也」は、魚釣島が、
>政治的にではなく、地理的に台湾に付属するとの意味であったと考え
>られる。

 中国の資料に記録として残っていることは素晴らしいことですが、結局誰のものでもないということの裏付けにしかならないと思います。

(2)見方によっては一番古いもの
> 1372年から1879年まで、琉球国と中国は、朝貢・冊封関係にあり、
>琉球と福州との間で、朝貢船、冊封船が往来していた。(途中省略)
>久米島について、『使琉球録』(1534年渡琉)では、「乃チ琉球ニ属
>スル者ナリ」、『中山伝信録』(1719年渡琉)では、「琉球西南方界
>上鎮山」と述べられている。また、『重編使琉球録』(1561年渡琉)
>には「赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ」、『使琉球雑録』(1683年
>渡琉)には、赤尾嶼と久米島との間にある「郊」の意味について
>「中外ノ界ナリ」との説明もある。
>しかし、これらの記述から明確に読み取れるのは、久米島が琉球に属
>することのみであり、赤尾嶼(尖閣諸島)の帰属については何ら述べ
>られていない。
>尖閣諸島は、福州と那覇のほぼ中間地点に位置し、航路目標として有
>用であったことなどから、冊封使は、尖閣諸島を中国の領土と意識し
>て、久米島からは琉球領に属すると記述したのではなく、同諸島を航
>路の目標として記述したと解すべきであると反論される。
>また、『使琉球雑録』の「郊」や「中外の界」とは、冊封船の航路を
>横切って流れる黒潮の存在や当時の海上信仰を考えれば、国の内外の
>堺という意味ではなく、水域あるいは海流の内外の意に解した方が、
>より妥当であるとの指摘もある。

 これは、もし私が中国人なら、尖閣諸島を古来から中国領であったという最も有力な資料と思うことでしょう。「赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ」と言っているのならば「中国内であるから自国領とあえて言わなかったのだ」と言いたくなります。
 しかし、誰もいない島であれば「赤嶼は我が国の最先端なり」とか何とか言っておかねば、誰も管理していないと言われても仕方ないと思えます。

(3) 林子平の『三国通覧図説』
>江戸時代の経世家、林子平が著した『三国通覧図説』(1786(天明6)
>年)の付図「琉球三省并三十六島之図」は、色刷りの地図である。
>ここで、九州などが緑色、琉球王国領は薄茶色であるのに対し、尖閣
>諸島が中国と同じ桜色で塗られていることが、尖閣諸島が中国領であ
>ることを、日本人も認めていた証拠として挙げられることがある。
>しかし、この地図は、台湾が正式に中国に編入されて以降に作成され
>たにもかかわらず、台湾を中国とは異なる黄色に塗り、その大きさを
>沖縄本島の3分の1に描くなど、不正確な点も多い。そもそも『三国通
>覧図説』は、林子平が私人の立場で書いたもので、日本の政府の意思
>を反映したものではない。

 この資料は中国人側がときどき持ち出す資料ですが、よく分らない辺境の地について、適当に書いているだけのものと思っていいでしょう。

(4)日本への領土編入
>日本は、「尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の
>方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であ
>るのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認
>の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なっ
>て正式にわが国の領土に編入することとした」。
>他方、中国は(最近になって)、中日甲午戦争(日清戦争)を通じ
>て、日本が尖閣諸島をかすめとり、さらに清朝政府に圧力をかけて、
>1895年4月に馬関条約(下関条約)に調印させ、台湾とそのすべて
>の付属島嶼及び澎湖列島を割譲させたと主張している。(途中省略)
>1895年4月17日、日清両政府は「日清両国講和条約」(明治28年5月
>13日勅令。以下「下関条約」という。)に調印した。
>講和条約締結に向けた談判中、清国は、日本からの台湾、澎湖諸島
>の割譲要求に対しては、強く反対の立場を主張していたが、尖閣諸
>島の地位については何ら問題にしなかった。もし、清国が尖閣諸島
>を自国領と認識していたならば、台湾や澎湖諸島と同様、尖閣諸島
>の割譲についても異を唱えていたのではないだろうか。

 清国(中国)は尖閣諸島に対しては自国という認識はなかったとみなされても仕方がない、と思われます。中国が「日清戦争で割譲した」と主張するのは間違いだと思えます。

 中国の古い記録にあることは事実のようですが、中国が自国と認識した形跡はないように思うのは、私が日本人だからでしょうか。それとも、その立場でまとめてある国会図書館の資料を見ているからでしょうか。