簡単な日本語を使おう

 

2020.2/17(月)、小雨 最近の日本語は不必要な長ったらしい言い回しが多すぎると思いませんか?

72歳を過ぎた自分が古いのか、平和ボケした日本人が言葉の本質を忘れて敵を作らないための意味不明のゴテゴテとした文を付けてボカしているだけの事か。
例を挙げる。

●「・・・させていただきました」と言う表現。「・・・しました」と言えば済むものが大半である。
「・・・させていただきました」という言い方は、昔からの使い方としては、相手に許しを請う表現であろう。「本来は○○にすべきだが、それが準備できないので申し訳ありませんが今回は、・・・にさせていただきました」などである。
それと似ているものとして、「(その料金では貧弱な○○しか準備できないが、長いお付き合いでもあるので今回は一段上の)・・・にさせていただきました」などがある。これは許しを請うのではなく、自分の好意をへりくだった表現にしているものだ。しかし本当は「・・・してやったんだぜ、忘れるなよ」という裏の意味を含んでいるように思う。
「・・・させていただきました」は、最近は丁寧な表現としてあちこちで使われているようである。そのような丁寧表現が必要な場合もある。しかし政治家や役人などが頻繁に使っているのを聞くとおかしくて仕方がない。「本年の予算は5兆円にさせていただきました」などと言う人が多い。これなどは「本年の予算は5兆円にしました」と言えば十分であるが、そう言うと反論されそうなので柔らかくするために「させていただきました」と言ってるようだ。反論しないでくれ、と言いたいようだ。裁判官の判決言い渡しの席で「禁固5年、執行猶予2年に処する」などと言う一方で、法務第大臣などが説明するような機会に「禁固5年、執行猶予2年にさせていただきました」などと言うことを聞く。そのうちに「死刑にさせていただいた次第です」などの発言を聞くことになるのだろうか。

「・・・させていただきました」と言う言い方は口癖みたいに言うのは止めよう。必要な時だけにしよう。

●もう一つ。「・・・とかあるじゃないですか」もおかしい。「・・・があります」と言えば良いのに、なぜか「とか」と言い「・・・じゃないですか」と言う。
たぶん、「Aがあります」と言うと、「そうじゃないだろう」などと反論を誘発する恐れがあるのでぼかしているのだろう。反論を封じて身を守っているのだろう。「AとかBがある」と言いたいのだがBを省略していると思わせたいのだろう。(しかし本当はBを認識していないにもかかわらず。)
「・・・あるじゃないですか」は相手に同意を求める表現と、昔聞いたことがあるが、さらに、相手が考え付いたように思わせる表現と言えないだろうか。「Aです」と言うと自分が知っていることを自慢しているように思われ嫌われる恐れがある。それは嫌だから、「Aがあるじゃないですか」と言って相手が自分で「Aがあるな」と考え付いたような気分にさせる、と言えないだろうか。
高級な話術ともいえるが、そのような気遣いばかりやっていて、最近多くなっていると思える傍若無人な外国人と渡り合っていけるのだろうか?

●「・・・なのかな~と思います」と言う言い方の多様も2点おかしい。「なのかな」とその後を伸ばす言い方である。「なのかな」は自信を持てないが多分そうだろうと考える推量を示す場合に使うべきものであり、そういう場合に使うのは妥当である。ところが最近は、自分の言いたいことは明確なのだがそう言うと反論される恐れがあるのでそれを封じ込めるため自分の意見をぼかす手段として使われている。そんな使い方をしていては日本語が壊れてしまう。
例えば、友人が集会に来なかった場合に「何か急な事態が起きて来れなかったのかな」と言うのは良い。しかし、急に学校が休みになった場合に「もっと早く連絡もらえば良かったかなと思います」等の使い方はおかしい。この場合には「かな」は不要である。「もっと早く連絡もらえば良かったと思います」と言えば良いのだ。自信をもって自分の意見を発言しよう。
もう一つの文節の最後を伸ばす言い方はノンビリしている気分を表すものとして使って良い場面もあるが、不適切なケースを聞くことが多い。JR列車遅延の放送で駅員が「列車は先ほどの地震のための安全確認のため遅れていま~す」などと聞くと、大丈夫かなと心配になる。まさか「放射能が漏れていま~す」などとは言わないだろう。
「御社に就職しても良いかな~って思っています」などと言われたら面接担当者は困るだろうな。

●「・・・になります」と言う言い方。これは「・・・です」で十分であるのに、親切のつもりで使うのだろうか。
「こちらがご注文のものになります」と言われると、「今から変わるのかな~」などと思いかねない。「こちらがご注文のものです」で十分である。
以前あるとき医者に行って料金払った後、受付の女性が「次の予約になりますね~」とだんだん上げながら言った。上げながら言ったことが原因の1つだろうがまず何を言ってるのかさっぱり聞き取れず、聞き直したがそのたびに同じ言い方をするので2,3回も聞いてしまった。次に、言葉は分かったがその意味が分からなかった。本当のことだが「あ、そうなるんですか、で?」と聞いてしまった。そこで先方はまた同じことを繰り返した。そんなことを繰り返して、ようやく先方は次の予約の日時を決めたいと言ってることが分かった。
こっちの理解力が落ちているのかもしれないが、標準日本語で話してくれればわかるんだけどね。

●「ご案内の通り・・・」と言う言い方も気持ちが悪い。「ご存じの通り・・・」とか「分かってるだろうが・・・」と言うことのようである。10年くらい前のHという政治家が頻繁に利用していたが嫌になった。政治家が言うと「知ってるだろう、俺は説明をしないよ」とか「俺の理解と同じだろう」と言ってる訳であり、それでは政治家の場合は逃げである。政治家の役は果たせない。事態を知らない人や、一応知ってるが解釈できないでいる人に自分の意見を伝えて一つの方向にまとめていく、引っ張っていくのが政治家ではないか。民主主義では全員が一致する法案は存在しない。勝手なことを考えるから良いのだが、それでは政策はまとまらない。そこを全員一致ではないが次善の策として最大多数の方向にまとめていくのが政治家であろう。
「あんたは自分の意見を言ってないじゃないか、おれは新聞で読んだりテレビで見て知ってるけど、あんたの理解とはたぶん違うと思うよ」と言いたくなる。

●「・・・してございます」、原発事故の際に東電の人が頻繁にこの表現を使っていたのを記憶している。「防波堤の高さは10mにしてございます」などと慇懃(いんぎん)な言い方を聞くたびにバカにされているような、嫌な思いをした。「防波堤の高さは10mにしています」で十分である。
何が嫌な感じを引き起こすのか考えた。10mか15mかの技術的な数値の話をしているのに、営業的な丁寧語が入ることで焦点がぼかされてしまう、騙されてしまう印象をもったように思う。慇懃無礼というか、逆に真摯な態度が伝わらない気がした。

●逆に簡単にしすぎている例。「感激を与えたいと思います」などと選手が言うのを耳にすることがあるが、これは間違った表現だ。選手が心の中で「感激を与えたい」と思うのは勝手なことだ。しかしそんなことを考えてプレーするのだろうか?
良い試合をしたい、力いっぱい試合をしたい、と思っているのでないだろうか。だったらそう言えばいいのに。
選手が頑張ってプレーをしているのを観客が見て「感激を与えられた」というのは正しい。しかし、選手が言う場合には「喜んでもらえるようなプレーをしたい」と言うのが最適だと思う。
微妙であるが、「感激してもらえるようなプレーをしたい」も少し言い過ぎだと思う。「感激」と言う言葉自体、選手側から言い出す言葉ではないのではないだろうか。なぜならその意味は「強く心に感じて、気持ちがたかぶること」と言うような意味だからだ。選手が、観客に「強く心に感じさせ、気持ちがたかぶらせたいと思います」と言うとおかしいではないか。

 

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