■■■■■メールマガジン;六車技術士事務所■■■■■  2015.5.13

■「ゆうメール」に請求書を入れられるか?

 郵便局の「ゆうメール」には、信書は入れいけないことになっています。
では、信書のひとつである請求書は入れて良いのでしょうか?

 これまでクロネコヤマトのメール便でCDなどを80円で送れたのです
が3月末で停止したため、ゆうメール(180円)を使うことにしました。

 ゆうメールは、150gまで180円で、CDや写真などを入れて送れるし
ポストに投函できるので便利です。ただし、信書は入れられません。
また、封筒の一部を開けておく必要があります。
「信書は入れられない」「請求書は信書である」ので私は長い間、請求書
は信書だから入れられない、とばかり思っていました。

★ところがです。ゆうメールの説明をよく見ると
「ただし、内容物に関する簡単なあいさつ状、請求書等の無封の添え状
や送り状は同封することができます」と書いてあります。
 http://www.post.japanpost.jp/service/yu_mail/soufu.html

★つまり、請求書だけを送ることはできないが、CDなどと一緒に送る
のであれば、一部を開けておく限り同封してもよい、と思われます。

 えっーそうだったの?、クロネコヤマトのメール便ではCDなどの小
物と一緒に請求書を送るのはダメと言われていたような気がしているの
ですが。また、請求書を一緒に送る間違った使い方をする人がいるので、
メール便は止めるらしいと思っていたのですが・・・

★しかし、「ゆうメールに同封可能なもの」という説明ページには
「注文用の払い込み用紙」などいくつかのものを上げてあるのですが、
請求書は書いてありません。ここにも書くべきですね。
 http://www.post.japanpost.jp/service/yu_mail/doufu.html

 郵便局は・・・請求書をゆうメールに同封することは、認めざるを得
ないが、積極的には言いたくないという姿勢と理解しました。

 他にも、ゆうメールに請求書同封可能の説明の近くで、面白いものを
みつけました。
「内容物よりも軽いものにしてください」
「同封する際には、内容物のタイトルと「付録」の文字を表示してください」
だんだん神学論争を見ているような気分になってきました。
 
 明治時代に前島密にひそかに研究させた郵便制度に今も縛られてい
るのが、おかしなことになっている原因だとどこかのホームページに
書いてありました。
   
 
■昔々、その26・・・    前←    その1

 南欧、アフリカの出張の後のお話です。

 帰国して数か月たった昭和53年初夏のころ、JAPIOの前身の日本特許センター・JAPATICが、日本で最初の特許情報検索システム・PATOLISがサービスを開始しました。
私はそれまで、特許情報の分析を主にやっていたのですが行き詰まりを感じており、それからデータベースにのめり込んでいくことになりました。

 東京のコンピュータセンターと電話回線でつないでオンライン情報検索サービスを行うのですが、通信速度はわずか300ボー(300bps)とか900ボー位でしたが、最先端のサービスでした。
 ※300Kbpsではありませんので、念のため。

 コンピュータから漢字が印字されて出てくると驚いて、見学者が結構やってきました。ディスプレイは・・・そういえば、しばらくは無かったですね。入力した文字や出力データはすべて紙に印字(プリント)されていました。

 昭和56年か57年ころ、月給の何倍かを費やして秋葉原からパソコンを買ってきて使ってみました。当時の記録装置はフロッピーさえ無くて音響用のテープレコーダーに記録していました。これは全くの遊びに終わりました。

 昭和58年(1983)、私はパソコンを特許部門に導入すべきだと申請して許可されました。そしていろいろ使ってみているうちに、通信端末としてPATOLISに繋ぐシステムを作りはじめました。
そう言えば、通信端末の信号を電話線につなぐためにモデムはなく音響カプラーというものを使っていました。

 インターネットの無かったあの時代に自分で通信ソフトを作り、このころは緑色に輝くブラウン管(陰極線管)式のディスプレイがありましたが漢字はまだ表示できませんでした。
さらに検索者の検索ニーズを予め記憶させ、センターと接続後自動的に検索や参照を行なうインテリジェント端末システムを作りました。センターに1時間接続すると料金が3万円くらい掛ったので、パソコンによるこのシステムは重宝しました。

 2月頃から開発に着手し、朝は7時頃出勤し、帰るのは夜12時過ぎということも頻繁にやりました。5月には初めての社外論文を書き、夏には技術士試験を受け、NHKの教育テレビに出演し、秋には過労で2週間入院し、その直後、営業支援のために科学技術館の特許・情報フェアで説明要員をやりました。
(その後、発明者として特許も何件か出願しました。)

   

 12月に技術士試験に合格の知らせがありました。ボーナスの査定後だったので少し悔しかったのを覚えています。怒涛の昭和58年でした・・・あの頃は若かった。

 そう言えばNHKでは、昭和58年4月から翌年3月まで「おしん」をやっていたし、TBSでは昭和58年10月から翌年3月まで「スチュワーデス物語」をやっていたんですね。私は見る暇がなく、何年か後に、再放送で見たようです。

 それからしばらくたって、データベースの関係でニューヨークのホテルに泊まっていたとき、元気の良い「スチュワーデス物語」の音楽が英語で流れてきたのを聞いて驚きました。ところが、それが元歌でアメリカ映画「フラッシュダンス」の「Flashdance... What a feeling」だと後で知りました。(~_~;

これで26回にわたる私の「昔々の出張物語り」を終わります。
        
 ⇒先頭/その1


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